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クリエイティブと鼻の穴

コピーライター悶絶秘話

変態枠

ヒグジムの木下さんを筆頭に、広告制作者の多くが太っている。これは生活が不規則なうえに運動不足、さらにはクライアントに振り回されるストレスから、夜遅くに高級握り寿司・高級天ぷら・高級珍味などを過剰に摂取することが原因である。じっさい、この業界に入ってから加速度的に体型が崩れていく人を何人も見てきた。

ある代理店の営業担当は、ついには子どもから「お父さん」と呼ばれなくなった。彼は今「ぽっちゃりさん」と呼ばれている。「おかえり~。ぽっちゃりさん!」と玄関で出迎えてくれる日はまだ早く家に帰ってこられているのでよいほうである。連日の会議などで遅くなる日が続くと、子どもが寝る前に「ママ、きょうも、ぽっちゃりさんに会えなかったね」と言うらしく、よけいに切ない。

わたしも健康維持のため「ぽっちゃりさん症候群」には気をつけたいと思っている。フリーランスという身の上ゆえ、打合せや取材がない日はほぼ一日家から出ないという日もめずらしくなく、つい気をゆるめれば目に見えないぽっちゃりさんはわたしの背後にぴったりと貼りついている。ふと、鼻先をくすぐる「汗臭さ」を感じたのなら、あなたの後ろにもぽっちゃりさんが立っているのかもしれない。

 

そんなぽっちゃりさんを振り払おうと、わたしは毎朝の日課に運動を取り入れることにした。体操とジョギングである。早朝に放映されているNHKのテレビ体操を行い、フィットネスの器具で身体をほぐしたあと約4キロのコースを走る。住宅街を抜け旧自動車教習所の脇を通り、アップダウンのある小学校の前を通って、大船観音をのぞむ急坂を登り切って自宅へ戻る──約二〇分ほどのコースだが、有酸素運動によって清々しい汗をかけるのだ。

 

●●

 

 その日も一走りし、いやあ爽快爽快。やっぱ走ると気分がいいよね。などと言い、ダイニングで冷たいお茶をぐびぐびと飲んでいると台所で妻が「さっき、また『不審者情報』が届いたわよ」と言う。『不審者情報』というのは鎌倉市のメール配信サービスで、市内に怪しい人物が現れたという通報をもとに携帯メール等にその情報が送られてくるというものである。

「また? 最近多いね」と言いながらタオルで顔を拭い、ダイニングテーブルに置かれてあった妻の携帯電話を見る。

 

【発生場所】小袋谷二丁目

【不審者】四〇代の男、身長一六〇センチ位、短髪、ぶしょうひげ、青色の長袖Tシャツ・紺色のズボンを着用

【被害者】小学生一名

【状況】児童が保護者と登校していたところ、正面から歩いてきた男が手を伸ばして児童の手をつかもうとした

 

ちょっといやなかんじがしたのは、小袋谷二丁目という発生場所が今ほどわたしが走ったエリアに非常に近いことと、【不審者】の特徴として羅列されている情報が、自分の身体的特徴の多くと一致していたことである。そのうえ追い立てるように妻が言う。

「あなたが走りに出たあと、よく不審者情報が届くのよ」

おいおい、そんな阿呆な話が……と苦笑いして妻のほうを見たが妻はシンクで食器を洗いはじめており、こちらに背を向けたままである。わたしは急に不安になり、ギリギリっすね、これ、やばいっすね。と早口でまくしたてた。「ほとんど条件満たしてるし、あと『青色の長袖Tシャツ・紺色のズボン』という部分が「黒の半袖Tシャツ・黒のズボン」だったらもうアウトやね。完全に。しかも、ジョギングコースのすぐ近くという奇妙な符合ね! ただこれ君、『うちの夫だけは』とか『そんなことをする人じゃない!』と固く信じているかもしれないけれども、安心したらアカンのやで。こういうことも考えられるよね。おれが、犯人と疑われないために、別の色の服をどこかに隠しておいて、『犯行に及ぶ前に着替えた』。その可能性も、捨てきれないよね?」と、あえて「否認一点張りではない余裕」を見せつけることで、逆説的に真犯人ではないリアリティーを演出するなど、涙ぐましい努力でわたしはこの不穏な空気を打ち消そうとした。

「前もさ、あったじゃん? 白いパーカーを来た男が、小学校の近くで女子高生をしつこくつけまわしていたっていう事例。あのときも、あなた、打ち合せで家にいなかったよね?」

  

(効果音はいる)

 

 

わたしは、スポンジで食器を擦る妻の背中越しに、そうね、あのときも、「偶然にして」タイミングばっちりだったよね。これもう逆にポイント制にしたらええんとちゃいますかね。『何ポイント不審者情報の条件をクリアしていたか』を競うビンゴ大会で全国の猛者とハイスコアを競いたいですわ~、だれにも負けへんでぇ~と、舌のもつれて絡まるままにちょげてみせても妻は相変わらずむこうを向いたままで、グラスをゆすいでいるのかリズミカルに肩を揺らしている。流水音で、わたしの言ったことが聞こえているのか、聞こえていないのかわからないのでここからはもう一人で語らせてもらいますけれども、わたしは、世の中には『変態枠』という領分が存在すると主張するものである。

 

 

変態枠。

そこには必ず人類の何割かがあてがわれる。

変態が一人つかまっても、また新しい変態がそこに投入される。

働きアリのなかには、働かない2割のアリがいる。働かないアリをはぶき、働くアリばかりを集めても、またそのうちの2割のアリが働かなくなってしまう。これは働きアリの法則とよばれ、一見さぼっているように見えるアリたちが、実は体力を温存しコロニーの永続的な存続に大きな役割を果たしているというものである。

このように、変態というマイノリティーは社会においては糾弾されがちだけれども、このマイノリティーが役割として在ることでマジョリティーの健全性が再認識され、みんながハッピーになれるんじゃないか。みんなが、プリティーになれるんじゃないか。ぼくたちにとって、ウィンウィンで、ウェイウェイな存在が変態なんじゃない?

  

うす暗いダイニングでそのような思索を巡らせ、「──そう考えると、変態っていいよね」とひとりごちたとき、グラスをゆすぐ妻の手がぴたりと止まった。

 

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イラスト/石川恭子