読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クリエイティブと鼻の穴

コピーライター悶絶秘話

愉快犯

 

わるいことをするやつなのに、「愉快犯」などとはこれまた愉快である。なんとなく、そんなにわるいやつじゃないんじゃないか、という気もする。
たとえば、強盗犯。これはわるい。読んで文字のごとく、暴力や脅迫といった強引なやり口で盗みをはたらく輩である。
たとえば、誘拐犯。これも、よくないな。声に出すと、なんとなく響きは近しいけれども似て非なるもので、人をかどわかして連れ去り、金品を要求したりするものだ。やり口がきたない。
そこへきて、「愉快犯」である。
目的が、盗みをはたらいたり、人をさらって金品を得ることではない。ただ愉快なことをして、世間を騒がせ楽しんでいるという点に好感がもてる。いたずらっ子がそのまま大きくなったようなかんじだろうか。
◯◯犯とつくなかで、ひとつだけ肩を持ってよいといわれたら、わたしはだんぜん「愉快犯」の肩を持ちたい。肩を組んでもいい。それに、声に出してこう言ってみたくはないか。

 

 「愉快犯のしわざだ!」

 

いいと思う。なにかこう、ずっと晴れなかった心のもやもやが消え去っていくような、そんな清々しさがあるではないか。


「愉快犯のしわざだ!」

 

いいよね。風呂上がりにビールを飲んだときとまったく同じかんじだ。いっそ、風呂上がりにビールを飲みながらそう言ってみたい。


「愉快犯のしわざだ!」

 

これ、くせになるよね。トレンチコートって、ぼく、もってないけど、トレンチコートを着たみたいなかんじになるよね? って、そんなよくわからないことを思いながらわたしは愉快犯を口のなかでゆかいに転がしていた。それがつい先日までのことで、わたしが愉快犯を大きらいになる前の話である。

 

●●

 

わたしが愉快犯のことをきらいになったのには理由がある。人間とは身勝手なもので、自分に直接関係のないことに対して、あれやこれや言っていても、いざ自身が当事者になったとき、ころりと態度を変えたりもする。
尾籠な話で恐縮だけれども、知り合いの女性デザイナーは、それまで興味がなかった異性でも──むしろいけ好かないとさえ思っていた男であっても、なにかのはずみで乳を揉まれたとき(どんなはずみだ)、それまでの印象はすべて吹き飛び、
「いっぺんに好きになる」 
と言っていた。今回の話とはとくに関係のないエピソードだけれども、勇気づけられる話なので付け加えておく。

 

本題に戻ろう。
関西人の方なら思い当たるふしがあるかもしれないけれども、わたしには年に二度ほど、無性にお好み焼きをつくりたくなる。季節は十一月と四月である。
普段は台所の仕切りを妻にあずけているのだけれど、そういうときは、今日の食卓のすべては自分にまかせろと言い、L.L.Beanのでかいトートバッグを肩にひっかけて自転車で近所のスーパーへ出かける。中年男がL.L.Beanのトートバッグをもつとき、それは本気のあらわれと見てよいだろう。
薄力粉、山芋、キャベツ、豚バラ、ちくわ、天かす、紅ショウガ、青のり。野ウサギを狙うイヌワシの目で、あるいは気が弱そうな女学生を狙うトレンチコートの痴漢の目で、お目当ての食材を探しながら中年男が店内をねり歩く──。
生鮮食品の売り場へと向かうため、生活用品のコーナーを横切ったとき、奇妙なかんじがした。洗濯ハンガーや便座カバー、風呂洗いブラシなどが売られている棚に、豆もやしの袋が無造作に置かれてあったのだ。
なんで、こんなところに豆もやしが。
と思い、ぼくは、豆もやしに、あれ、豆もやしさんですよね? と問いかけた。豆もやしは、はい、豆もやしでございます。と小さな声で言った(ような気がした)。どうしてここに? ここは便所スリッパなぞが売られているところですよ。それがわからないのです。気がついたらこの場所にいて……。それはなんと不憫な。ここで会ったのもなにかの縁。どうか助けてくださいまし。わたしたち豆もやし族は温度変化の影響をうけやすく、非常に傷みが早いのです。色が変わると、もう売りものにはならぬと人間たちに断じられ暗い倉庫で廃棄されるのを待つばかりの定め──。どうか、わたしを元の冷蔵装置のあるところへもどしておくんないまし。
そのように、豆もやしが市原悦子の声で語ったので、「恩返し」に厚い『まんが日本むかし話』育ちのわたしとしてはこの豆もやしを放ってはおくわけにはいかぬ。豆もやしをひっつかむと一目散に生鮮食品売場へ急いだのじゃった。

それで豆もやしは仲間の豆もやしたちがいる冷蔵の棚に収まり一件落着。あとはわたしが寝ていると豆もやしたちが家にあらわれ、小判の入った壺(スーパーの売上金)を毎晩のように枕もとに置く。巨万の富を得たこの男はそれから「もやし長者」とよばれるようになったそうな。めでたしめでたし。という大団円を待つばかり。
やっぱり、いいことするって気持ちがいいよね。って買い物を再開し、半玉キャベツのところへ行ったら驚愕しました。いったいだれですか、群馬県昭和村の生産農家・阿部さんのみずみずしい半玉キャベツの棚にDVD-RWを置いたのは。
なぜ、こんなところにDVD-RWが。
と思い、ぼくは、DVD-RWに、失礼ですがなにかのまちがいでは? と話しかけたところ、どうにもDVD-RWっちゅうやつは、気障っちゅうか、鼻持ちならないっちゅうか、クールに「別に」。みたいなかんじでわたしのことを一瞥し、なにやら小馬鹿にしたような態度をとるんですな。
「デジタルメディアのやつはみんなそうか!」
と、わたしもつい、大きな声が出そうになったのですが、生鮮食品売り場でそんな声をあげると、あまり自分にとって得にならないというか、たといそれが正論であったとしても、やみくもに人びとをおびやかしたという理由でポリス方面のひとが駆けつけたりとか、あまりよろしくない方向に事態が進むのであろうということは自分も長いこと生きておるとそれぐらいは判るので、このいけ好かないDVD-RWのボケを無視して、お目当てのかわいらしい、目ぇのクリッ! とした半玉キャベツをゲットしようと手を伸ばしたところ、いきおい積まれた半玉キャベツの山が動いて手前にあったDVD-RWを床に落としてしまった。
ちょっといやなかんじの音がして、慌ててそれを拾いもとのところに戻したとき、わたしの横に中年の女性客が立ったのである。
見るからにPTAっぽいかんじの銀ぶちメガネをかけたおばはんで、そのおばはんは見た。見るからに売れないライター風情の黒ぶちメガネのおっさんが、群馬県昭和村の生産農家・阿部さんのみずみずしい半玉キャベツの棚にDVD-RWを置こうとするところを。
「あらいやだ」。
「きちがいではないかしら?」。
「今度のPTA総会で報告するザマス」。
おばはんのしょうもない脳がそのようにわたしを認識する、すんでのところでDVD-RWをひっつかみ買い物カゴに放り込むと、わたしは生鮮食品売場からすばやく立ち去った。

 

●●

 

文房具や電池などが陳列されている正しいコーナーにDVD-RWを戻すと、喉ちんこがやすし師匠の形になり、「なんやっちゅうねん」と言った。
それから、やっと無事に買い物を進め、最後に肉類をカゴに入れてレジに向かった。会計を済ませ、出口に向かうわたしの耳に、聞き覚えのある声が響いた。
あたし、ここよ。
あたし、ここよ。
声は囁くようにそう言っていた。まさかと思って「それ」に数歩近づき目を凝らして見た。出入口付近にある、扉のないオープンな冷蔵棚に並べられたコカ・コーラのペットボトルの前に、豆もやしが置かれてあった。
そこでわたしは、かつて自分が声に出して言ってみたかったけれども、一度も口にできなかった件の言葉を、声に出して言ってしまったのだ。


「愉快犯のしわざだ!」

 

実際に声に出してみると、思っていたようなかんじではなかった。当事者としてその真っただ中にいるとき、人は感興に身を委ねる余裕などない。一刻も早く、この場所から離れなければならないと思った。豆もやしのことが気がかりではあったけれども、このようなわけのわからぬ茶番に付き合っているヒマはない。

夕方の雨に濡れたチワワのような目で、豆もやしは最後にわたしを見た。──いえ、自分のことはかまわずに行ってください。甲斐甲斐しくもそう訴えているように見えた。桟橋から見送る女のように。
自動扉から出ると足早に駐輪場に向かい、自転車のスタンドを蹴り上げてトートバッグを前カゴに押し込んだ。底のほうで奇妙な乾いた音がして、わたしはトートバッグを持ち上げて見た。前カゴの中に、松ぼっくりが二個入れられていた。

 

 

f:id:hanaana:20160506220248j:plain

イラスト/石川恭子