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クリエイティブと鼻の穴

コピーライター悶絶秘話

年末進行と心の滅亡

年末はなにかと慌ただしい。年内になんとか間に合わせたいというパンフレットや雑誌広告、ウェブサイトなどが重なって進行するうえに、年明け早々の刊行物等も年内に校了を控えるので締切が早まり、そこに伴走する。さらには、忘年会という人間行事もある。

人間行事は、そう悪いものでもないし、自分のようなしがないフリーランスを誘ってもらえるのはありがたいことなので、時間が合えばできるだけ参加するようにしている。だけれども前述のようにとにかく年末はバタバタとしているもので、年忘れの会などといわれてもなにが精算されるわけでなく、買い物カゴにいっぱいの業務を抱えたまま束の間の宴に興じる。

そして竜宮城から現実世界に戻ると、未開封のまま溜まった進捗確認のメールや、修正指示の連絡、原稿催促の留守電、新規案件の相談、請求書の束、宗教の勧誘、間違い電話などがいっせいに襲いくり、わたくしの髪の毛は真っ白になる。

ただ、おとぎ話とちがうのは、おじいさんになってもこの人間世界は続いていくということである。

 

忙しいという文字は、「りっしんべん」に亡くすと書く。つまり、「心を亡くすことが、忙しさ」なのだという人があり、そんな言葉が妙に染みてくるのもこの年の瀬ならではの感慨だ。

慌ただしさゆえに──とはいえど、なんとたくさんの心を亡くしてきたことだろう。ここに弔いの意味も込めて、その亡者たちをひっそりと償うことにしたいと思う。

 

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忙しくなることによって、多くなるのが誤字脱字の類である。職業柄あってはならぬことだが、とかく迂闊な物書きである自分の周辺からはどうしてもなくならない。あまつさえ心を亡くしているので尚のこと頻発するのだった。

「お世話になります」。

ビジネスにおいて、このような基本的かつ間違いようのないことであってもけして油断はならない。最近は、単語の予測変換という便利かつおせっかいな機能があるもので、最近使った言葉をパソコンが学習してしまったがゆえに起こる悲劇というものがある。

ある取材で、板橋区の成増というところに行き、しばらくその案件に携わっているとき、わたしから関係者に送られるメールの文頭は、いきなりこのような誤字で幕を開ける。

「お世話に成増」。

なまじコピーライターから送られてくるもので、受け取った人も妙に勘ぐったり、気をつかったり、はたまた考え込む人もあるようで、たいへんに申し訳なく思う。

変換後の文字をきちんと確認せず、ばたばたとキーボードを叩いているので、このようなミスはたびたび起こる。

制作ディレクターの「小金澤さん」という方に向けたメールをいきおい「小金澤ワン」とやって、アニマル・プロデューサーみたいにしてしまったり、慌てて打ち直して「小金ザ・ワン」とこんどは外連味のある家計アドバイザーが出す本みたいになっちゃったり、なんだんだと思って、自分では慎重にタイプしたつもりが「小金澤左腕」って君、いつから左のリリーフエースに転向したんや。

 

ただ、これはまだクライアントに送っていないだけましなケースである。クライアントに送ってしまったもののなかには、ここに書くのもはばかられるようなおぞましい事例もある。それを発表するのは、自分の首をしめるというか、自分で自分の営業妨害をするような愚かな行為なので、やめておいたほうがいいという、自分内の意見もある。一方で、「かめへん、かめへん」といっている鷹揚な関西人も自分のなかには棲んでおり、その男がなんでも話したがっている(たぶん、そもそもの誤脱の原因もこの男である)。

どちらもわたしのパーソナリティーなので、わたしは、それらを理性によって統制し、意見を折衷しながら、できるだけだれも傷つかないように話を進めたいと思う。が、できるかどうかはわからない。なぜなら、これを書いている今もまさに年末進行のさなかであるからだ。

 

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 岡さん、というある会社社長へ送ったメールの文面が、途中から「お母さん」になっており、ずっと、お母さんと見積金額についての話をしていた、というのはずいぶん微笑ましいエピソードである(当事者でなければ)。わたしは、このメールの文章において、コピーライターとしての持てる技術をフルに使い、同一人物に対して岡様、岡さん、お母さん、お母様、と四種類もの呼びかけを巧みに使い分けている。いわば、変幻自在の決め球をもつ左のリリーフエースさながらの高等テクニックである。

皆さんは、ある冬の朝にとつぜん、五〇代の中年男性から、

「わたしは、お母さんではありません」。

と、したためられたメールを受け取ったことがあるだろうか。そして、そのときに込み上げる、春の草原のように甘ずっぱい胃酸を嗅いだことがあるだろうか? ひとつ言えることは、岡さんが、やさしいお母さんでよかったということである。

 

そんなかわいらしいエピソードだけでなく、もうちょっとエグい方のも言え、とゲスい関西人が耳もとで囁くので、あまり気は進まないがある年の年末に「やっちまった」ことを話そう。このときわたしは大規模な不動産連合広告案件に携わっており、それがまあ、いろいろと筆舌に尽くしがたい大変さであったため、関係者は基本的に夜に眠ることを許されておらず、いや、寝てはいけないということではないのだけれど、自分が寝ることで全体の作業がストップし、次の日だれかに迷惑をかける、ということが分かっているので自主的に寝ない。自らの怠りによる負の連鎖は避けようという、大人たちの涙ぐましい努力がそこにあった。このようにして、年末の仕事は成り立っているのである。大人って、えらいなあ。と他人事のように放心している間に自分にお鉢が回って来、メールボックスに未開封メールがわんさと到着するという状況となり、いわばそのときわたしは精神的に極限の状態にあった、というのがまず、長い前置きと弁明である。

もうひとつ余計な前フリを付け加えるならば、その年の下半期というのは印象的な猥褻事件が多発した時期でもあった。奈良県で起こったのは、路上を散歩していた二〇代と五〇代の女性の親子に後方から近づき、ふたりまとめて抱きしめた男の痴漢事件。犯人はまず娘の胸をさわり、驚いて振り向いた母親に素早くキスをして逃亡した。

三重県では、白いTシャツに麦わら帽という格好をした四〇代の男性が電車内で痴漢行為をはたらいた。その男は、席に座っていた女子中学生に向けカブト虫を投げつけ、そのあと「虫が逃げました。」と言い、女学生の太ももを無理やり開かせて股間をまさぐった。

──そのような事件が巷を騒がす折に、わたしは、こともあろうに、大手◯◯不動産会社(名前を出すのもはばかられる)の担当者に向け、関係者一同をCCに入れた開けっぴろげな状態で、

 

 ◯◯不動産 下部好き会社 △△様

 

と、やっちまった。こともあろうに、「株式会社」を「下部好き会社」と打ち間違えるという所業。これは、ある種、意味がまったく逆である。

同じ担当者と何度もやりとりをし、二度目以降メールの本文以外は文面をコピペして送信していたので、わたくしは東証一部上場の有名企業であられる会社さまに対して、何度も「下部好き会社」と、いい募った。まるで社員がみなド変態であるかのごとく、そこを訪ねていったならば、とつぜんオッパイを触られたり、驚いて振り向いた刹那にキッスをされたり、耳に舌を入れられたり、打ち合わせの途中、やおら部長からカブト虫を投げつけられ、「虫が逃げました。」と太ももを無理やり開かされ「カブト虫は、甘い蜜を吸いにくる習性があるんです。ここでしばらく待ってみましょう」と顔を股間に押しつけて小一時間じっとされたりする、そんなやつらばっかりがいる会社だといわんばかりの所業を。

 

まだ時効ともいえぬ、その愚かな誤りをここに記し、罪を受け入れ深く反省することにしよう。そして年末進行によりすべての滅亡してしまった魂たちに、ひっそりと祈りを捧げることにしよう。アーメン。

 

 

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 イラスト/石川恭子