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クリエイティブと鼻の穴

コピーライター悶絶秘話

熱き職人の叫び

ライターさんって、いわば職人ですよね。と言われることがあるのだけれど、いや、まあ、はあ、とわたしが言葉をにごすのは、たしかにそのような側面もあるにはあるが、実際は煩雑な作業も多く、あちこちに電話をかけてアポイントをとったり、取材交渉、金額折衝、スケジュール調整、コピー取り、機材運搬、缶コーヒーの買い出し、花見の場所取り、肩もみ、リップサービス、鼻毛の処理等も含まれる仕事であるので、職人というイメージには程遠い。

わたしの思う職人のあり方とは、そのようなものではない。なんというか、もっとこうカクシャクとしているというか、頑固一徹。寡黙に作業に没頭し、日々たゆまぬ修練を重ね、たしかな技術によってモノをつくり出す生き方。鼻毛が出ていても、まったく気にしない。泰然自若と腕を組み、鼻毛を春の風になびかせている。それが、真の職人の姿ではあるまいか──。

とはいえ、職人もまた人の子であるのだなあと感じたのは、これから話すあるできごとに遭遇したことがきっかけである。このエピソードを読めば、あなたもきっと職人のことが好きになり、職人の誕生日にはかわいい花柄のスリッパをプレゼントしたくなるにちがいない。

 

●●

 

わたしが職人にあこがれるようになったのには理由がある。以前、ある取材で伝統工芸士の工房を訪ねたときのことである。

茨城県笠間市のひっそりとした山間にあるその作業場で、泥のついた作務衣を着た陶芸職人が節くれ立った手でろくろを回していた。一塊の土くれでしかなかった泥は、指先の角度を変えるたびに生きもののようにうねうねと変化し、あっというまに艶やかな大鉢の形になった。魔術のようであった。滑らかな土肌は素朴で力強く、幽玄な魅力を放っていた。

それ以降わたしは、職人というものを憧憬のまなざしで見るようになった。陶芸にかぎらず、◯◯職人とつくだけで、さぞや卓越した技術をお持ちの方であらせられるのだと、ハハーッと所かまわずひれ伏しそうになる。

広島では、さらにその上をゆくツワモノにも遭遇した。

それが、牡蠣焼き職人である。

牡蠣焼き職人。

みなさんも、よろしければ声に出して言ってみてください。

牡蠣焼き職人。

ぶわっ、立ち上がる炎の上で豪快に焼かれる殻のついた二枚貝。パチパチと爆ぜる音と共に鼻腔をくすぐる香ばしい磯の香。熱風と入り交じって舞う火の粉の向こうに浮かぶ、剛胆な男のシルエット──。そんなものの姿が立ち現れないだろうか? もし、そんなものの姿があなたの脳裏に浮かんだのだとしたら、まさしくそれが、牡蠣焼き職人その人である。

かくも馨しい職人の登場であった。ビジュアルもまたインパクトがある。浅黒い肌に、後ろで結んだ白い髪。胸元まで届くほどの長い山羊ヒゲを伸ばしており、あまつさえ上半身ハダカである。

おそれいった。そんな牡蠣焼き職人が、わたしの前で牡蠣を焼いておるのである。つい、興奮して話が前後していますが、これは、ぼくが取材で宮島を訪れたときの話です。

もみじまんじゅうや大しゃもじなど、ご当地らしいお土産の並ぶ宮島表参道商店街を歩いていると、白い煙があがる店先に人だかりができている。覗いてみると、大きな提灯がぶら下がる和モダンな牡蠣料理専門店の入り口に、その牡蠣焼き職人はいた。

赤々とした炭火がいこる網の上では、泡を吹く十センチ近い大ぶりの牡蠣がごろごろと並んでいる。時折大きく噴き上がる炎をものともせず、この島で四〇年の経験を持つという職人は華麗なトングさばきで牡蠣を素早く順々に裏返す。

「一斗缶を使う、漁師伝統の浜焼きを再現した」というこの牡蠣を焼くパフォーマンス。少し離れた場所でそれを眺める自分にも、気道を焼くようなむわっとした熱気が流れてくるのだから、火のすぐそばに立つ牡蠣焼き職人の過酷さたるやいかほどのものか。眉間に深い皺を刻み、額にじわり汗を滲ませながらただ黙々と作業を続けるその姿にわたしは職人の矜恃を見た。

 

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パン! と突然大きな音がして見物客がざわめいた。焼き牡蠣のひとつが爆発したのだ。牡蠣は、殻の中の水分が蒸発しても口を開けない場合、内圧が高まって一気に爆発を起こすことがある。爆発すると殻が弾け、熱水をあたりに撒き散らすのでとても危険なのだ。

 

※ここからの話は、スーパースロー映像のようにお読みください。

 

“職人は──牡蠣焼き職人は無事かと わたしはうごめく人影のなかにその姿を探した 職人はいた うすく煙の立ちこめる向こうに 牡蠣が爆発する前と 何ら変わらぬ様子で まるで 古代中国の水墨画に描かれる 仙人のように泰然自若とした佇まいで そこにいた 白黒だった 牡蠣焼き職人は 白黒だった すげえ こんなアクシデントにも動じない 牡蠣焼き職人は やっぱすげえと感動した そこで わたしは はじめて気がついた 熱で、真っ赤になった職人の腕 その手首から 肘のあたりにかけて 割れたグラスのような細かい殻の破片が無数に突き刺さり 吹き出す熱水でやけどを負った傷のあとが いくつも いくつも 生々しく あることを 。 ぼくは自分を恥じました たった十五年やそこら 広告文の世界でメシを食い 安穏とした日々のねぐらなかで ときに職人ヅラしていたおれ 思ったようにいかないと文句をつらね 人のせいにしたり 体調が悪いと言ってはすぐに畳に横になる そのものぐさ その懶惰な魂 見よ! これがプロフェッショナルだ まごうことなき 本物の職人だ” 

 

刹那に、様々な思いが去来した。取材先で、まさかこんなふうに自己を省みることになろうとは……と、思ったそのとき、牡蠣焼き職人が唐突に叫んだ。

「熱い!」

へ? と困惑するわたしの目の前でバチン!と再び貝が爆発した。ちょうどそのそばで牡蠣をひっくり返していた職人の腕にまた破片が弾け飛んだのがはっきりと見えた。

職人は、間髪いれずに言った。

「痛い!」

そのあとも牡蠣が暴発するたびに職人は「熱い!」「痛い!」「熱い!」「痛い!」とくり返し、破裂したものの、ギリギリで避けられ、自らの身に被害が及ばなかったときは「危ない!」と言った。

そのとき職人は、遙か遠い存在の偉人ではなく、生身のニンゲンとしてわたしの目の前に立っていた。もう、白黒の仙人なんかじゃない。くつ下にカピカピのごはん粒がついているぐらい、職人が身近な存在になった瞬間だった。