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クリエイティブと鼻の穴

コピーライター悶絶秘話

クライアントとフリフリのはざま

 

「日本語の『人間』という言葉がすでに『間』という文字を含んでおります」と医学博士の木村敏先生がいうように、ひとは、様々なものの間に挟まれながら生きている。

父と母。兄と妹。友人と恋人。上司と部下。嫁と姑。天井と床。帽子と靴下。掛け布団と敷布団。天井と床(風呂)。エアーマットと巨乳。

最後のほう、少しふざけましたが、人間らしい生活というものは、人とひとの間にいることによってはじめて成立するものなのかもしれない。

 

そういったことがまあ、そう悪いもんじゃないと頭で分かってはいても、日々の社会生活のなかにおいては、はざまにいることによって「あちらを立てればこちらが立たず」といった状況に陥ることも多く、とかく、わたしたちの頭を悩ませる。

ある一方の面目を保つように動くと、もう片方の面目がつぶれる──といったことは往々にしてあり、義理と不義理のはざまで喘ぐ。人間生活とはなんと業の深いものであろうか。と、痛感した話をこれからします。

 

●● 

 

飲み屋で乾杯をしようと、持ち上げたグラスにコースターがくっつき、烏賊の刺身の上に落下したときから悪い予感がしていた。

烏賊の刺身に落ちたコースターを見て、「やるせない」という言葉は、きっと、こういうときに使うのだと思った。

その日は三浦半島での取材があり、夜はスタッフとともに食事をした。その後、ホテルに戻って翌日のスケジュールを皆で確認していたときだった。

 

ロビーのラウンドテーブルに、各自セルフサービスのお茶を持ってきていたのだけれど、わたしのティーバッグだけ出が悪い。まあ、そういうことはよくあって、自分に配られたミカンだけ腐っているとか、快調に開閉していた自動ドアがわたしが前に立つとぴたっと閉じたまま開かなくなるとか、順調に育っていたカブトムシの幼虫がサナギになってそのまま腐るとか──神さまが半笑いでぼくをそういう運命のもとに置いているのだと半ばあきらめてはいるのだけれど、それにしても左右の人のお茶はきれいな濃い緑色をしているのに、自分のカップの中のお茶ときたら、なんというか、検尿をほうふつとさせる淡くてやさしい山吹色をしてはる。

 

おなじティーバッグなのに、なぜわたしのお茶だけが。やるせないですわあ、と周りに訴えると、右に座っていた大手広告代理店のアートディレクター・Y女史が言った。

 

「しゃぶしゃぶが足りないんだよ!」

 

と、まったく同じタイミングで、左に座っていたTカメラマンが言った。

 

「フリフリが足りないんだよ!」

 

ステレオフォニックに左右の耳へと同時に飛びこんできた、しゃぶしゃぶとフリフリ。

片や、ティーバッグを湯に浸す表現を「しゃぶしゃぶ」とする、和心豊かなしゃぶしゃぶ派と、片や、同じ表現を「フリフリ」とする、ワールドワイドかつ、ダンサブルなフリフリ派。このふたつの見解に挟まれてわたしは悶絶した。 

はたして、どちらの意見を取り入れるべきであろうか。わたしに放たれた語気はともに激しく(なぜか、わたしのことを責めているようにも感じた)、お互いに譲歩する気配はない。

 

しゃぶしゃぶか、フリフリか。

 

フリフリか、しゃぶしゃぶか。

 

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あちらを立てれば、こちらが立たず。わたしは悩んだ。どちらかを選択するということは、どちらかを却下するということである。わたしが一方に加担すれば、世界の均衡は崩れ、しゃぶしゃぶとフリフリの勢力図は大きく変わる。力を得た一方は、やがて突出した脅威となり、地域不安、国際紛争、それはいずれ戦争の脅威となってわたしたちの身に降りかかるだろう。

なんということであろうか。

まるで、引き金に指をかけた気分だよ。と、暗澹たる思いになった。

ふと、つまらない階級意識が頭をもたげた。社会的な図式でいうと、Y女史は大手広告代理店に所属する人間であり、コピーライターであるわたしと、Tカメラマンの「クライアント」にあたる存在である。長いものには巻かれろ、の精神でヒエラルキーに身を委ねるのならば、わたしは「しゃぶしゃぶ」サイドについたほうが身の保全にはつながる。つまり、「しゃぶしゃぶ」だけに、食いっぱぐれない、という意味である。(※)笑うところではない。

わたしの心が、金のゴマだれに浸かりかけたそのとき、魂の奥底から叫びのような声が響いた。

「わかりにくくないっスかね?」

それは、金のゴマだれのなかから現れた。

金のペンを持った、コピーライター殿の登場であった。

「フリフリというのはなにやら乾物を擦り合わせるような響きがあり、水中であったことを表現するにしては、いささか不適切である。しかしながら、しゃぶしゃぶが正しいのかというと、しゃぶしゃぶ、というのは、すでに畜肉などを湯に泳がせて食する『しゃぶしゃぶ』なる言葉もあり、非常にまぎらわしい。ゆえに、どちらも適切であるとはゆえぬ」。

「そしたら、答えは?答えはなんですの?」

わたしは金のペンを持ったコピーライター殿にそうたずねたが、金のペンを持ったコピーライター殿はなにも答えず、とぷん、とふたたび金のゴマだれのなかに沈んでいった。

 

取り残されたわたしは、いまだ左右の席から同時に放たれた問いの余韻さめやらぬ世界のなかにいた。

答えは、まだ見つかっていなかった。

ただ、早く何らかの自分なりの意思を示さなければならない。そんな抜き差しならぬ状況にあることだけは間違いなかった。

顧客との信頼関係。

クリエイターとしての矜恃。

わたしの、わたしとしてのあり方。

しゃぶしゃぶとフリフリは、そんな深遠な問いとなり、わたしの心臓を激しく揺さぶった。

タイムリミット。

これ以上の沈黙は、場を不穏にさせてしまう。そんな畏れを感じたわたしは、すっと息を吸いこんで神妙な面持ちでこう答えた。

「チャポチャポが、足りなかったと思います」。

 

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 イラスト/石川恭子